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寄稿文

​「熱球」の思い出 中村恵子/75期(岐阜県各務原市在住)

 この原稿依頼が郵送されてきた時、その封筒に印刷されたデザインの中に「熱球」の文字が躍っているのを見つけ、非常になつかしくこの歌を思い出しました。私は結婚して、山口県を離れたこともあってか、うかつにもこの歌の存在を忘れて過ごしていたのです。高校を卒業してはや三十数年、すっかり忘れていたものをいきなり目の前に見せつけられた思いでした。と同時に、我々の高校生時代と同じ様に、現在の山高生にも変わることなく歌い継がれていることをうれしく思いました。そして、おもわず何年ぶり、いえ何十年ぶりに「熱球」を二度、三度と口ずさんでいました。歌詞もメロディーも完璧に覚えていて、なんと気持ちよく歌えたことでしょう。気分はすっかり高校生にかえっていました。その時、ふと山高に入学して間もないある日のでき事を思い出したのです。午前中のある授業終了後のざわついた教室に、突然数名の上級生のお兄さんが入ってきました。そして、我々を威圧するかのようににらみつけながら、昼休みに応援の練習をするので講堂に集合するようどなるような大声で言ったのです。ほんの数分間の我々にとっては嵐のようなでき事に、教室の中はシーンと静まりかえっていました。
 そして昼休み、我々はクラスごとに整列させられて、異様な雰囲気にビリビリしていました。その時、初めて応援団そして応援歌の存在を知ったのです。応接団員のお兄さん達は列の間を歩きながら時折大声をはりあげて乱暴な言葉で喝を入れていました。「高校にはこんなこわい人達がいるんだ。」と思ったものです。現在の応援団はどうなんでしょうか?。応援歌としての「熱球」をどのようにして覚えていったのかは記憶に残っていませんが、その後、数回このような応援練習があったように思います。どなられはしないかとビクビクしながら歌い始めた応援歌でしたが、いつしか好きになり「熱球」を大声で気持ちよく歌うようになっていました。
 それ以来、高校三年間に何度「熱球」をみんなで歌ったことでしょう。この歌が山高で歌われるようになった由来も、少々難解な歌詞の意味もよく知らないままでしたが、すぐにみんなの間に浸透していったようです。私は、「熱球」を歌うとみんなの心が一つになるのを感じたものです。
 とはいえ、応援歌といっても野球部等の運動部の試合を応援しに行ったわけでもないのに、我々はいったいいつ「熱球」を歌っていたのでしょう。そう考えると不思議な気がしますが、「熱球」は山高の象徴的な存在であり、また我々白身への応援歌だったのかもしれません。悩んだり、くじけそうになったとき、この歌を口ずさんで勇気づけられていたのかもしれないと思うのです。「熱球」の中にそんな大きな力を感じるのは、私だけではないと思います。
 だからこそ、現在に到るまで歌い継がれてきたのでしょう。この歌を声を合わせて歌えば世代を越えて山高生であった日々をおもい出し語り合えそうな気がします。
 50歳になる今まで、たくさんの心に残る歌と出合ってきました。特に、青春時代によく歌った歌は、その時代の数々の思い出をよみがえらせてくれるほど、印象深く残っています。でも、「熱球」はそれらのどれよりも格段に大きなエネルギーを私に与えてくれそうです。私自身の「人生の応援歌」として、これからも大切にしていきたいと思います。
 
 
 
 
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