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寄稿文

​美の追求/75期

 そうそう、私が芸術方面の学校に進学しようと決めたのは、高校三年の初秋だった。さっそく美術の先生のところに相談に行き、その旨を伝え指導を仰ごうと思ったら、困惑顔でそっけない対応だった。そりゃあそうだろう、美術部に入ってもいない者が突然、美術方面に進学したいと言っても、基礎が出来ていないのだから、先生も呆れて困られたのだろう。
 その美術担任の先生の対応がそっけなかった(と思いこみ)、それならば自分自身でと、美術関連の書物や指導書を購入し、独学で目指した。美術系の大学は、学科試験と実技試験があり、学科はパスしたが実技はダメだった。しかしある程度は覚悟していたので、それほど落胆はしなかった。さっそく次は、実技の勉強を教えてくれる東京近辺の美術研究所を捜した。いま思えばこの頃から自分で検討し、決定して行く主体性らしきものが形成されたような気がする。しかるに進学相談に行った時の美術の先生の(そっけない)態度が、むしろ自分を発奮させたのではなかろうか。感謝したいぐらいだが、その先生の名前は覚えていない。
 さて田舎者にすれば、東京は魅力に満ち溢れていた。全国から多種多様な人間が集まっているので、大いに刺激を受け学ぶことも多く、楽しかった。だから束京に出てからは山口県出身者と連絡を取ったことは無かった。むしろ未知の地方から来た人達と積極的に交流した。しかしこの頃は学生運動が盛んであったが、私自身はさほど興味がなく、美術の勉強に専念した。またこの時期大阪で万博が有り、彼女と一緒に見物に行った。彼女は田園調布に住む、まだ高校三年生であった。美大受験のため学校終了後、ひと駅となりの
当研究所の夜間コースに在籍していた、(因みに同研究所は、目黒区の自由が丘にあった。)私は昼間コースであったが、その研究所主催のダンスパーティーで知りあい意気投合し、万博に一緒に行ったという次第である。その彼女はあらゆる面で抜きん出ており(今でもそう思う。)、皆の羨望の的であった。振り返ってみれば、付きあった女性は、ほとんどが美人でした。(ホントなんです。紙面さえ許せば数十ページのエピソードは書けます。)
 人間青山のもと多感な青春時代をあらゆる人達と交流した事は、今では大変良かったと思う。現在も大学時代の友人とは挨拶状のやりとりと、四年に一度は同期会の会合を持ち、管鮑の交わりをしている。
 今年山高同窓会のお世話をさせていただくのが二十一世紀の幕あけというのも何かのご縁だと思うと感慨無量です。一生懸命させていただきます。自分自身も新世紀の決意、人生の節目として、長年撮りためた写真の個展を開催する決心をしました。美術の学校に進学以来女性の美を追求してはおりますが、今もって見極める事が出来ず、奥の探さを感
じます。
 よって今回は自然の美をテーマに、自分なりの視点で表現してみたいと思います。稚拙な作品ばかりですが沢山の方にご高覧いただき、ご批評、ご指導いただけたらと思っておりますので、常盤公園の散歩がてらお立寄り下さい。
 
 
 
 
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