山口県山口市糸米一丁目9番1号 083-921-8015

寄稿文

​熱球を歌うと青春の血潮がたぎる/70期

 私は防府市に本社のある、王子ゴム化成(株)と云う工業用ゴム・樹脂の製造販売会社に勤務しています。3年前に本社勤務と云う事で、山口に帰ってきました。以前は、大阪、東京で25年間営業を担当していました。その間大阪弁にも染まる事なく、堂々の山口弁一筋で通して参りました。今思うに、心のどこかで山高の気概を示したかったのかも知れません。今回、縁あって寄稿するに当たり、米屋町の喫茶店「コティ」で山高時代を思い出しながら書いていますが、かなうならば、一の坂川辺りにあった、懐かしのグリーンパークで書きたかったな。思い出の一番は、やはり高校三年時の山口国体のマスゲームの練習に汗を流した夏のグランドです。そして本番の大観衆の前で無事やり遂げた誇らしげな充実感が蘇ってきました。二番目はやっぱり柔道部の事です。この梅雨時のけい古は、最悪です。汗の染み込んだ道着は一年中乾きません。猛烈に汗臭い匂いも、今では懐かしく思います。結局、柔道は十年間続けましたので、私の青春を語る時、切り離せません。次は何と云っても熱球です。私も声の大きさを買われて、今は亡き応援団長、宮城君に誘われ入部しました。あの講堂やグランドでの壮行会で歌った熱球は、今でも熱い情熱がこみ上げてき、青春の血潮がたぎってきます。生前、宮城団長と一杯やりたかったなあ。そろそろ先生の事を思い出しました。私が唯一、覚えている万葉集、篭もよ み篭持ち 堀串もよみ堀串持ち この丘に 菜採ます児 家聞かな 告らさね ……
 即道先生の授業で教わりましたが、何故か心ときめいた事を覚えています。更に思い出しました。野波藤樹君の事を。友達は僕に会えば野波の事を、野波に会えば僕の事を聞くといった具合の大殿中以来の親友でした。三年の時、彼が生徒会長に立候補し、彼の応援演説をした事も懐かしく思い出されます。無論、彼は見事に当選しました。元気でやっているかい。久しぶりに「黒い花びら」を弾いてくれよ。そう云えば、一応、勉強すると称して、あっちこっちの友達の家に行き、腹が減っては戦は出来んと云いもって、夜中に屋台のラーメンを食べた事も懐かしく思い出します。最後に、東京でも、大阪でも、同級生とよく酒をくみ交わしましたが、自信を持って言います。山高出身の誰もが、正々堂々の硬派の血が通い、山高の卒業生だという誇を持っている気概を感じるという事を。
 
 
 
 
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