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寄稿文

​人生の進路を決めた文化祭 藤屋侃士/64期(山口放送株式会社取締役ラジオ局長)

 「皆んなに親しまれた古い歌、誰でも知っている新しい歌、今週の三つの歌は……」のNHKの人気番組“三つの歌”。
 私のように還暦を過ぎた年代の方は誰でも御存知だと思う。宮田アナウンサーは後に国会議員に立候補し、当選した程人気者になった。
 ラジオ・テレビが私達に与える影響は極めて大きいが、多メディア・多チャンネル、デジタル化時代を迎え、これ程の情報が本当に必要なのだろうか、メディアによる情報過多が、むしろ、私達に本当に必要な「人と人との触れ合い」、「コミュニケーション」を、逆に結果として小さいものにしていないだろうか……そんな事を考えながら、今放送局でラジオを担当している。
 そもそも私が放送局で働くことになったのは山高時代の文化祭と深い関係がある。
 昭和32年、高校3年の時の文化祭で、冒頭に書いた“三つの歌”を宮田アナウンサーの真似して私が司会をして行ったのである。
 どういう経緯で私が司会をするようになったか記憶にないが、超満員の講堂のステージで、当時生物担当の内藤昌文先生(後に私達の同級生の末国玲子さんと結婚された)から借りた赤い水玉模様のネクタイをして司会、大変盛りあがったことを今も鮮明に覚えている。
 しかし、当時私は「放送」の仕事を希望していたのではなく、目指したのは「法曹」関係であった。
 その年の大学受験、伯父が裁判官であったこともあり、中央大学の法学部を受験した。一緒に受験したのが、今山口県公安委員長として大活躍されている末永汎本弁護士である。
 そして、彼は合格、私は不合格。
 仕方なく浪人でもするかと考えていた時、担任の増野克己先生が週刊誌を持ってこられ、「ここに日本大学芸術学部に放送学科が新しく開設されるとある。文化祭で君の司会を見たが、君はアナウンサーになったら良い」旨、勧められ受験したのである。
 幸運にも合格。放送学科の第一期生、お陰で4年間常に最上級生。そして昭和37年山口放送にアナウンサーとして入社した。以来39年、今も同じ会社で御世話になっている。
 もし、文化祭で司会をしていなかったなら……。もし、増野先生が週刊誌の記事に目をとめなかったら……。私の人生はどうなっていただろうかと考える。
 
 人生はまさに出逢いのドラマである。
 小さな出逢いを大きくすることも、大きな出逢いを小さくすることも……ドラマの主人公は自分である。
 山高との出逢いが私の人生をどれ程豊かにしてくれたことか……。アナウンサーだったことから、前記の末永弁護士を始め100組以上の披露宴の司会をさせてもらった。これも私の財産である。
 同窓生が山口県知事となった。私達の誇りである。
 今、「元気なふるさと、山口県」を目指して二井知事が先頭に立って「山口きらら博」が開催中である。きらら博会場内に山口放送ラジオのサテライトスタジオを設置し、今日2時間30分の放送をし、きらら博の成功の為がんばっている。
 年に一度、周南地区の山中山高同窓会が開催されるが、これまた司会をしながら、最後は同窓生と肩をくみ“熱球”を声高らかに歌う。もう残された人生の方が短くなった。
 しかし、気持はいつも青春時代。今日も心の中で“熱球”を歌い、山高有難とう、同級生・同窓生との出逢い有難とう、共に元気で命きらめいて日々を生きようと誓うのである。
 
 
 
 
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