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寄稿文

​同窓会に寄せて 大隅伸枝/62期

 還暦を過ぎた頃から、同窓会が急増しました。今年は特に多く、8月末まで10回以上になります。
 ご案内をいただいた時には、できる限り出席するように心がけています。
 この中には山口高校関係のものが四回含まれています。毎年2月に開催される周南地区山中ー山高の会、8月の「熱球」総会の二つは恒例なので毎年出席することにしています。
 きらら博に合わせて山高三九会があります。これは高校生活の3年間を同じクラスで過ごした友人たちの会です。久しぶりにセーラー服姿の50名の級友の顔が浮かんできました。入学当時は東校舎の焼け残った教室の一部だったと思います。なんだか狭くて暗い感じでした。二年の途中で糸米の今の場所に移動したような気がします。何しろ、一組から八組までは男子組で九組だけが女子組という編成でしたのでまとまりもよかったと思います。
 このクラス編成は、初めてのことで、前例がないので、私は中学校から進学する時には迷ったものです。
 今は女性の社会進出も多くなり、男女共同参画が叫ばれるようになりましたので、あの頃に比べると考え方も変わったと思います。そして、昭和28年という、戦後の復興期であり、まだまだ国中が好景気になるという予測のない頃に、ユニークなクラス編成をされた方々は先見の明があったと思います。
 二・三年生の時は、音楽で活躍されたことで有名な故・石井洋之助先生が担任でした。クラスで合唱したり、ほめられたり、叱られたり、娘さんのバイオリンレッスンの話などいろいろありました。クラスで一丸となって参加した運動会での仮装行列はよくおぼえています。今は亡き大村(馬場)さんたちのお世話で、歓進帳の衣装を貸していただき、運動場を歩いたのです。化粧もしました。その時の写真が見つかりました。
 私にとって38年間の仕事となってしまった音楽への道も、高校入学の頃から方向づけられたと思います。
 入学時に入部した合唱部はまだ東西校舎がいっしょだったので先輩の方たちは西校舎から東校舎まで来られたり、二年になると私たちが西校舎に行ったりして活動しました。
 今年は10年ぶりに山口高校合唱部の集い(幡部文江先生を囲む会)が開催されます。合唱部は幡部先生の指導を受けましたが、県の大会や九州を含む西部大会などの合唱コンクールに参加しました。音楽に明け暮れた青春時代の思い出です。
 さて、45年も前の話は終わり超近代に飛びます。
 6月8日、日本を出発して、モスクワ・サンクトペテルブルク(ロシア)・タリン・リガ・ビリニュス(バルト三国)の旅をしてきました。
 まずは車について --世界中が車社会になっているということです。モスクワでは古い車もあり、路上で故障車を修理していました。日本では見かけなくなった風景です。
 水が少ないせいか泥がついても洗うことはないようです。斜めにした路上駐車が沢山ありました。信号や標示も少なく、車が多いのによく走れるなと思いました。他の国々も同じですが、訪れる町の順に車がきれいになっていました。
 ソ連がロシアとなり、バルト三国が独立したことによって、それぞれの国が発展を願って、変化していることがわかりました。
 共通して感じたのは、戦いの傷あとがあるということです。目を見張るほどのすばらしい宮殿や、教会のどこかに焼け跡があり、今も修復を急いでいます。バルト三国での国旗は弔旗になっていました。スターリン時代にシベリア流刑が行われ数万人が命を落とした悲しい記念日なのだと説明されました。
 ヨーロッパEUに加盟をめざしているそうですが、侵略の歴史を乗り越えて、今度こそ、真の独立国として平和を守って欲しいと思いました
 六千枚もパスポートを書いてユダヤ人の命を救った杉原千畝さんの働いていた家もありました。
 江戸時代に漂着して女帝に謁見した大黒屋光太夫ゆかりの宮殿もあり、そこには立派な伊万里の花器やお皿が飾ってありました。ずいぶん遠いところなのに、日本との縁があちこちにありました。
 どこまでも続く森や草原をバスの中から眺めながら、47年も前に山口高校で教わった世界史の先生のことを思い出していました。
「もっと、勉強しておけばよかった。」などと言っても間に合わないことです。
 サンクトペテルブルグ交響楽団の演奏は世界一でした。その美しい音色が耳について離れません。やはり音楽は世界共通なのでしょうか。
 
 
 
 
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