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寄稿文

​山高時代思い出雑感/74期

 山口への通勤途中、信号待ちや渋滞の折、友人と楽しそうに通学する中学生や高校生の姿を目にすることが多い。中でも高校生を見ていると自分の高校時代の姿と重なり特になつかしさを感じる。
 卒業(昭和43年3月)から30余年。記憶もうすれていくが、通学で乗り降りした「下清水」のバス停。校門の近くにあったお店で食べたあげパン。回りに草が生い茂っていたようなプール。化学の勉強だっただろうか階段の教室、遠くて黒板の字も見えにくかった。全校生徒でおどったフォークダンス。ハンドボールの試合。歴史を感じさせる木造の校舎でほとんど3年問を過ごしたが、3年生の3学期に新しい校舎に入った。それまでの外ト
イレと違い、スリッパに履き替え衛生的で数も増えた。
 たくさんの先生との出会いもある。r一番印象に残っているのは、朝会での山本重治校長の叱咤激励の言菓「下関西高・宇部高に負けるな」話の内容は、大学受験のことだった。
 1年生の時だったが、地理の中島先生の授業は楽しかった。アマゾンの女性の狩りの話はいまでも覚えている。また、返してもらったテストに英語で「good」と赤のボールペンでかいてあり、とてもうれしかった。ずうっと宝物にしてもっていた。先生の生徒に対する温かい言葉に感謝している。わたしも教師をしているので、中島先生が私に書いてくださったような「光る言葉」をいつか子どものノートやテストに書いてやりたいと願っている。
 2年生の担任の先生は、河野智彦先生。若くてお兄さんのようだった。先生は、新婚ホヤホヤだったと思う。明るいクラスで、みんなが先生といろんなことを話した。だれの発案だったか忘れたが、クラスのみんなで智彦先生と常盤公図に遊びにいった楽しい思い出もある。卒業してからも、年賀状のやりとりをしたし、5年ぐらい前束京にいる友だちと一緒にお会いしたが昔のままのやさしい先生に会えてもう一度高校時代にもどりたくなった。
 テストが難しかったが、地学の久賀先生。元気いっぱいで若々しい平井先生。きびしかった数学の豊田先生。若くてお姉さんと慕った養護の小笠原先生は、住まいが近いので今でも健康その他の相談相手。たくさんの先生方のおかげで楽しく過ごせた高校時代。
 山高の同窓会にも何度も出席している。懐かしい先生方の元気な姿にお会いできるのもうれしい。高校時代、ほとんど話をしたことがなかった人とも、同級生と分かれば自然と心が開かれ、まるでずっと前から知っていたかのように親しく話がはずむ。不思議としかいいようがない。一人の友だちから輸がひろがり、同窓会に出席するたびに友だちが増えていくことはうれしいものである。みんなで歌う「熱球」はみんな心を一つにするすごい力を持っている「魔球」ともいえる。先輩・後輩みんなの歌声で「山高の心」が引き継がれていくようである。
 原稿を善くにあたって卒業写真のページをめくってみた。校長の言葉「自主積極」。校歌。先生方のやさしいまなざし。1組から9組の担任の先生と写ったクラス写真。同窓会でいつも会う友人の高校時代の笑顔。その中には、もう2度と会えない友の笑顔。この5月21日遠い世界へ旅立ってしまった直子さん。本当に残念でたまらないし、さびしい。
 みんなの健康と幸せを祈念して、「また会いましょう」。
 
 
 
 
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